2016年5月20日金曜日

【コラム】昔の自分だったらどう思うだろう

まほプリの「敵が襲ってくる理由」「プリキュアが戦う理由」に
序盤から不満を語ってきた私ですが、最近考えることがあります。

この「エメラルドのありかを教えな!」は

要はなぎほの時代の「プリズムストーンを寄越せ」
ですよね。




そして、当時私はそれに対して不満や不足を感じていませんでした。

・・そもそも今ほどまじめにアニメを見てなかったし、感想ブログさえ書いてなかった、
という違いはありますが。



もし10年前の私が今作を見たなら、たぶん何の文句も言わなかったんじゃないかな、
と考えるのです。


いや、「補習期間は何だったんだ」とか「何をやりたいのかわからない」くらいの漠然とした
事は考えたかもしれませんが。
ナージャの時も中盤あたりで友達とそんなこと言いあってた気がするし。



基本的には「みらいかわいいリコかわいい」だけで楽しめたんじゃないかと。


゚・*:.:♪*・゜゚・♯*:.。. :*・゜



とすると、今現在のこの、熱の入ることの少ない感想文はどういうことなんでしょう?
(※10,11,12話を除く)



・目が肥えたのか

・いろんなプリキュアを見てきたことで「好みの物語作りのタイプ」が出来てしまって、
それにハマってないからなのか

・価値観が変ったのか




人の考え・価値観なんて時には一瞬で激変する事だってあるんですから、
12年も経てば変らないほうがおかしい。と思います。


まして当時の私はまじめに勉強も練習もしようとさえしていなかった呑気なフリーターでしたし。

(全てが手探りだったシリーズ黎明期とフォーマットが完成した円熟期に
同じ評価基準を持つのは違うんじゃないかな?とも考えますが。)

そんな過去と現在の私が同じ見解になるとは思えません。





そういえば過去の自分の記事を見て
「うわ!コイツ言い過ぎだよ!!」なんて自分で引いたりしますし。

命知らずでしたね。
今じゃ絶対言わないような事を平然と書いてます。
そりゃ荒れますわな・・・



そして未来の私は今の私を見てきっとまたそう思うのでしょう。







゚・*:.:♪*・゜゚・♯*:.。. :*・゜


だから、私は今のところのまほプリには

「戦う理由が良く分からない」
「敵の主張が無い(事が多い)から、プリキュアがただふりかかる火の粉を払うだけになってる」
「主人公たちの姿から作者が何を感じて欲しいと思ってるのか見えにくい(事が多い)」
「脇役の扱いが雑で世界がとても狭く感じる」
「描かなければいけない要素を意識するあまり、人物が操られているように見える事が多い」
「戦闘シーンのアイディアが乏しい」

「作品が作者の理想・イメージ・情念から生まれるのではなく、
監督は「プリキュアの形をしたもの」を作ろうとしてるのではないかと(今のところは)(真実がどうあれ)感じる」


などなどの不満を抱えていますが、


自分の感想と作品の良し悪しは
また別に考えなければいけない

と改めて思うにいたったのです。




10年前の私なら、まほプリに対しても
「そんなに文句言わなくていいんじゃねえ?」

くらいに思ったはずなのですから。

そして、恐らく世の中にはそう感じる人の方が多いはずなのです。


私のようなヒネクレ者、

お子様ランチを子供よりも本気で食って真面目に論じる奴など
マイノリティに決まってると常に自覚しなければ、
たぶん本質を見誤る気がするのです。



自分のものさしだけで全ての物事を判断しようとする人は
得てしてトンチンカンな事を言うものですし、

私自身、過去にそんな恥ずかしい発言をした覚えがあります。



・・・特にスイートのころ・・・('A`)



そういう経験をしながら、ちょっとずつまた私の意見や価値観は
変っていくのだと思います。






゚・*:.:♪*・゜゚・♯*:.。. :*・゜


・・・・・・(゚ω゚)ふーむ・・・



≪お子様ランチを子供よりも本気で食って真面目に論じる奴などマイノリティに決まってる≫



文章を書いている最中に勢いで出てきた言葉ですが、これは我ながら名言ですなぁ(ノ∀`)

13 件のコメント:

  1. >「脇役の扱いが雑で世界がとても狭く感じる」
    これを読んで思ったんですが、
    「プリズムストーンを寄越せ」の頃の敵たちは確かに動機は微妙でしたけど、

    それでも面白いと思って見れたのは、
    初代『ふたりはプリキュア』では志穂&莉奈やアカネさん、藤P先輩やコスプレコンビなど
    脇役がしっかり描かれていたからなんだと思います。
    去年DVDで見直したのですが、脇役を見るだけでも充分に楽しめました。

    ここからは完全に私の妄想ですが、

    『まほプリ』で鷲尾氏が出したアイディアの1つは
    「魔法界の子を何人か脇役で出して、ふたりと絡ませつつ世界観を広げよう」
    までで、それをどう料理するかは今の監督たちに任せる。

    ……という感じだったのではないでしょうか?

    鷲尾氏が現役でプロデューサーをされていた時期は、
    バンダイが釘を刺すほど脇役が輝いた時期でもありますし、
    鷲尾氏が「サブキャラも大事にする」方だということは素人目に見ても明らかです。

    その鷲尾氏が企画に参加されているとなれば、
    当然「脇役を上手く駆使しよう」とされるのは想像に難くありません。

    それでも
    >「脇役の扱いが雑
    になってしまったのは、やはり料理する人がどこかでミスをしたとしか思えないのです。

    私の予想では「世界観を広げる」ことと「脇役を出す」ことを関連付けて
    描くことができなかったことだと思います。

    鷲尾氏の意図としては
    「脇役の人物描写や各キャラとの関係性を描くことで世界観は自動的に広がる」
    →「そのために脇役を上手に描くこと」だと思うのですが、

    『まほプリ』では
    「脇役を出す」→補修メイト
    「世界観を広げる」→補修でいろんな場所に行く
    となってしまい、

    結果的に補修メイトのキャラがよくわからないまま、
    要は物語の世界観が上手く広がらないまま
    ナシマホウ界に帰ってきてしまったのではないか、と思っています。


    妄想をたらたら書いているだけで、
    もしスタッフの方が読んだら気分を悪くされるかもしれないとは思いますが、
    私はこう予想しています。

    ………さきに謝っておきたいと思います。
    本当にもうしわけありませんでした。

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    1. 「人物の感情の流れが不自然にならないようにする」というのが無印時代からの
      鷲尾さんのこだわりだったはずなのですが。

      だから、この作品に本当に鷲尾さんが関わっているのか疑わしく思うことがあります。


      「鷲尾さんは納得してるのかな・・?」と考えることは多いです。

      削除
  2. >「エメラルドのありかを教えな!」は要はなぎほの時代の「プリズムストーンを寄越せ」

    エメラルドとプリズムストーンでは役割や持ち主などの状況が違うので
    当時そのことに不満を抱かなかったのは当然だと思います。

    ドツクゾーンにとってプリズムストーンは、自分達が闇に飲まれる(死ぬ)のを防ぐのに必要不可欠な代物。
    そしてそれをなぎほのが二つ持っているので、ドツクゾーンの幹部がなぎほのを襲うのは必然となる。
    これはシリーズの中でもプリキュアと敵が絶対戦う理由としてむしろ筋が通ってる理由づけだと僕は思います。

    一方リンクルストーンエメラルドは、
    敵もどこにあるのかわからない
    プリキュアもそれを持ってないうえ在り処を知らない
    敵がそれを手に入れて何をどうしたいのかイマイチ分からない
    (世界を闇で覆うみたいな抽象的すぎるふわふわした野望をいってたような気がしますがよく分からない)

    のに毎週なぜかプリキュアを襲いに来るのでおかしなことになってます。
    戦いの理由が雑でも戦いを通して見せたいメッセージ性がしっかりしてれば許容できますが
    まほぷりは戦いにそもそもメッセージ性がなかったり、いまいち腑に落ちないことばかりなので
    もう少しなんとかならないものかと。

    戦いをノルマにするなら理由付けをしっかりと、理由付けがあいまいならせめて戦いに意味(メッセージ性)を持たせて欲しいと思います。もちろん両方しっかりしてることが一番ですが。

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    1. そうですよね。

      「形は似てるんだけど、中身はかなり違う」ということが多いと感じるのです。

      現状、今年の監督さんは「戦う姿を見せなきゃ「プリキュア」にならないから戦わせてる」
      と思ってるんじゃないか、と、疑う隙ができてしまっています。

      削除
  3. よい心掛けだと思います

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  4. プロトカプチュー2016年5月21日 9:12

    ドクロクシ―一味は今のところエメラルドを探しているだけだから、そもそも戦う理由がないんですね。
    もしスパルダたちが自力でエメラルドを見つけたら、戦闘も破壊活動もしないでそのまま持ち帰るだけでしょう。

    「目的の物を入手するためには妖精や一般市民を襲う必要がある」という設定が存在しない。
    この点は初代とは明確に異なります。
    初代では悪役の目的が「妖精を襲う(=弱い者いじめ)」に直結していましたよね。

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    1. そういうところでしょうね。
      「カタチだけプリキュアしようとしている」と感じてしまうのは・・

      道理がないのに無理やり「戦う姿を見せる」シークエンスをこなさなきゃいけないと考えると
      こういう事になってしまうのだと思います。

      そしてそれが、「雑」という印象を生むのだと。

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  5. 10年前なら「みらいかわいいリコかわいい」
    プリキュアが好きなのは「なぎほのが“きらきらかわいいから”。」
    ていおさんの自分史と39話がシンクロしてる。理想を求め過ぎて排他的になったり、その危険性を自覚したり。
    読者からは自分だけの見かたがあっていい、いやむしろこういう見かたを続けて欲しいとお願いします。

    作者の理想を反映させないで、形(変身)だけプリキュアになると云うのは、一昨年の増子さんやゆいちゃんの存在を「誰でもプリキュア成れる」という意味で否定する事になる気が。この一文が早くされます様に。

    私、子供の頃“お子様ランチ”嫌いだったんですよ。
    色んな物載っててもみんな甘ったるいケチャップ味で。でそういう子って大人に嫌われる。マイノリティなんて慰めの言葉も知らないし。面倒臭い日々だったなあ。
    こんな子供も居るんですから、プリキュアや其への感想も時々大辛でいいんです。

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  6. せめて「エメラルドが悪の手に落ちると世界が滅ぶ」ぐらいの説明があると、
    「(奪われないためには)戦う」という理由になるんだけど、そうは見えなかったから薄く感じるんでしょうね。
    (リコが探しに来た動機は個人的で下世話なモノだったし、校長の説明も要領を得ない)

    次回はーちゃんが狙われる(?)ことでその辺りの危機感が描かれれば潮目が変わる・・・といいけど。
    逆に補習メイトという高級素材候補を上手く料理出来ないようだと、いよいよ「終わりの始まり」になりかねませんが。

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  7. ワン・ニャン2016年5月21日 17:07

    私なりの意見を申し上げます。

    まず、「エメラルドの在処を言え!」は、初代での「プリズムストーンを寄越せ!」より、むしろスプラッシュスターでの「太陽の泉の在処を教えろ!」に近いのではないかと思います。私の記憶だと「太陽の泉」というのが結局何だったのかは最終決戦ギリギリまで誰も知らなかったと思うので。
    そしてどちらの場合でも、敵が主人公を狙って現れることで、「なぜ敵が主人公のいる所にしか現れないのか」というヒーロー番組においてよくあるツッコミどころを補完することになっています。
    これによって、主人公の周りでしか戦いが起きない仕様になることで主人公やその周辺人物の生活を深く掘り下げできる…というのが鷲尾時代のプリキュアの良い所の1つではないかと。

    これに加えて、初代から5gogoまでのもう1つの特徴として「主人公たちの戦いは誰も知らない所で起きている」という点が挙げられます。これによって、敵に苦しめられる被害者たちの描写は主人公の目の前にいる人、例えばプリキュア5だとパルミエ人の3人だけで済みました。これも言わば舞台装置が必要以上に広くならないための処置だったのではないかと思います。

    Mプリのご不満については概ね同意します。その中で特に同意できる「脇役の扱いが雑」という所については思う所があるのでコメントします。
    脇役好きとしては「脇役の扱いが雑」というのは今に始まったことではないんではないかと思います。
    考えてみると、舞台装置がキャパシティを超えて広い場合や、脇役の数が粗製濫造的に多い作品は脇役がぞんざいに扱われている感じがします。
    例えば、フレプリだとラブ・美希・祈里が3人とも違う学校に通っているという設定によって、舞台装置が描写のキャパシティ以上に広くなった上に、3人の行動範囲の重なる場所がいわゆる「鷲プリ」でのそれより狭くなりました。結果、「誰か1人の学園生活を描こうとすると残り2人がその話に参加できない」という作劇上の不都合が生じてしまいました。
    それでも主人公たちを中心にして描写しなくてはいけないわけですから、ラブ・美希・祈里が一緒にいる時の場面と、後にせつなが仲間になってからは加えてラブとせつなの学校での描写が全体の殆どを占めることになります。
    その結果、ラブのクラスメートは大輔・沢・御子柴の3人以外は名前すら与えられておらず、美希と祈里のクラスメートに至っては全員分の出番を足しても30秒に満たない、というあの歪で深みのない世界観になったのではないでしょうか。(一応フレプリという作品自体は好きですがこのことばかりは我慢なりません)
    思い返せば、フレプリについては脇役の扱いに大きな不満がありました。ずっと空回りして最後の最後まで明確な形で努力を報われていないピエロ扱いな大輔、美希と並んでいる姿を通行人から嘲笑われ、美希と和希の「お似合いっぷり」を見せつけるための引き立て役に終わらされた沢、金持ち設定くらいしか掘り下げされなかった御子柴、イケメンで医者志望で虚弱体質だという表面的な設定以外まともに掘り下げされなかった和希などなど…あと、ラビリンスに家を壊された人へのフォローも全くされてません。これもヒーローものとしてはいただけません。

    Mプリもマホウ界とナシマホウ界という2つもの舞台装置を用意した上、登場人物も中途半端に多いという印象があります。
    それでも全体として良い所と思える箇所が問題に感じる箇所を上回ることがなければいいのですが…脇役好きとしてはそこが私の不安要素です。
    何はともあれひとまず見守っていきましょう。

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  8. 出遅れて先にワン・ニャンさんに言われてしまいましたが、私も「エメラルドを寄越せ」は太陽の泉との類似性を感じます。敢えて言うなら、七つの泉をプリズムストーンの形にしたような……。
    太陽の泉の在り処を聞き出そうとするのも、エメラルドと同じく難癖的なところはありましたが、敵のキャラクター性で弱さをフォローしていたように思います。キントレスキーさんはモロにそうかな、と。ドクロクシー一味はドツクゾーンの面子でダークフォールをやっている、ようなものでしょうか。
    しかし、プリズムストーンも七つの泉も、一部を敵側が既に獲得していました。ドクロクシー側にはそのような描写は無かったと思います。これで、敵の主張とはまた別に、プリキュア側の危機感が無くなってしまい、物語にメリハリが無くなるのではいか……などと、違う危機感が募るばかりで……。
    私見ばかり、失礼しました。

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  9. サジタリアス船長2016年5月22日 22:51

    確かに敵の敵の主張は少ないですが、個人的には悪い印象はありません。何を考えてるのかわからないおかげで、逆にドクロクシーの不気味さが際立っていますし、幹部も「何か悪そうな奴が出てきた」感じで落ち着いて見られます。

    プリキュアが戦う理由に関しても、そもそもみらいとリコが何故同じペンダントを持っていたのかというプリキュアの根源が語られていない以上、描きにくいと思うんです。

    あまり他作品を引用するのは好ましくありませんが、前作で望月先生が花のプリンセスの結末を描かなかったのは、子供達にそれぞれの結末を描いて欲しかったから敢えて描かなかったという理由でした。
    序盤から敵やプリキュアが戦う理由を明確にしてしまうのは、悪く言えば物語の幅を狭めて早く結末を見せてしまうのと同義であり、先に結末が見えてしまったら子供達は楽しめなくなってしまうかもしれません。

    とはいえ、結末に至るまでの過程も大切なので、それが描けなければつまらないのも事実です。せっかくの結末が台無しになってしまいますから、そこは忘れないで欲しいです。
    ただ、まだ時期尚早というか、半年くらいは今の感じで進んで、後半からブーストをかけて欲しいというのが私個人の願いです。

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  10. ウヌボレ ダメ ゼッタイ ハズカシイ

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