2017年6月30日金曜日

神秘体験とその解釈【厄除弘法大師・感想文】

以下にオカルトチックな体験の話をします。
しかし、壷や水素水や宗教の勧誘をするものではありません。

ただ、今日私が体験したことと、それに対する独自の解釈を述べるだけのものです。

※  ※  ※

今日、私の平間寺(川崎大師)参拝が100回目を数えました。





ただ好きだからというだけで通っているので、キリ番踏んだからといって
お祝いや記念行事があるわけでもなく、満願もなにもない。

・・・と思い、特に気取ることもなく
普段着でいつもどおりの参拝コースを巡ったのですが、

すべてのお参りが終わって不動門から出て一礼をしたとき、
一瞬頭をグラッと揺すられるような感覚がありました。

▲不動門


・・・・・・ただそんだけの事で、仏様の声が聞こえるようになったとか
悟りが開けたということもありません。


でも、いつものルーティンでいつも感じないものを、今日に限って感じたとなると
何かを信じてみたい気持ちにもなるのです。


※  ※  ※


お参りを続けて仏様と向き合う中で私が考えたことは

・祈りとは結局自分と向き合うことだな
・願いとは自分自身に誓うことだな

・仏法とは、社会システムが未熟な時代に
人ならざるものの威を借りて社会の安定をはかったものなんじゃないかな

・大日如来が宇宙そのものならば、それを信仰することは結局
社会や人間生活そのものを慈しむことだな

・大師様が求めた悩み苦しみからの開放=「安らぎ」とは、
相手や自分のあるがままを尊重することなんだな

・修行とは、先人の智慧を借りて
日常生活の中から思考を得ることなんだろうな

・・・・と、今のところは考えています。
「仏教は人間学」と語る学者さんが居るそうですが、私もまさにそう思います。

※  ※  ※


となれば、私が感じたあのめまい。

あれをただの偶然と切って捨ててしまうのは勿体無い気がするのです。


せっかくだから百度参りを機に、
何かの神秘を得たと思ったほうがお得ではないかと。



薬でも、プラシーボ効果というのが馬鹿に出来ないと聞きますし、
そういうことなら「神秘体験」はもっと精神的に効く気がします。


私が大師様ほかお不動様、御釈迦様らへ祈ってきたことは
「よい仕事が出来ますように」

この一事でしたから、
この先良い仕事が出来るようになると信じることにします。


結果がどうあれ、未来が明るくなると信じて
生きていけるなら人生が楽しくなりますし、
そういう心持ちでこそ
その未来が実現できるのかもしれません。


あるいはそれこそが現代の信仰の本質なんじゃないかとも思うのです。
もちろん、たかだか100回程度で至る思考ですから「予想」でしかありませんが。

私にとって仏教、真言密教、信仰の形とは今のところ、そういう解釈になっています。
・・・お坊さんには歓迎されないかもしれませんが。

お賽銭も2500円を全部5円でお納めしてるわけで。
相手が仏様でなかったら嫌がらせですわね。

私の願いは一生成就するものでもないですから、
これからも通い続けるでしょう。


それは絶望を誘うものではなく
人である限り煩悩は尽きないというだけのことです。

それがまた人間らしさでもあるのですから、煩悩とは振り払うべきものではなく、
適度に付き合っていくべきものだと思います。



おっ。

ちょっとプリンセスの物語にも共通するところがありそうです。



ここへ通うのはこの場所が好きだからですが、

同時にここへ来ると、仕事や生活での出来事に
自分なりの考えの整理が付くので心が落ち着くのです。


それはつまり、仏様に向かうという行為を通して
自らに向きあっているからだと思うのです。

昼間の賑わいもいいんですが、私はやはり日が落ちる時間帯が
好きですね・・

お護摩を見ていると強い光と香りと音で軽いトリップを感じます。
(写真は御香が燃えすぎてるだけですが)

五感に訴えて非日常を作り出し、そこで必死に願を念ずることで
人の中に神秘を作り出すのが護摩行なのかなと思ったりしています。



実は時間帯と風向きによっては味の素工場が出す異臭が
結構不快だったりするのですが。

そういう時は昼のお線香が香ってる時間に来ればよかったと思います。

あるいは行事があって屋台が出ると、
ソースの香りが充満するのでいい気分で参拝が出来ます。


夜の参拝もまた静かで神秘的です。
これはお稲荷さん。

お参りしていたら「コーン」という声がして
むちゃくちゃビビったのですが、
正体は物陰に隠れた猫でした。


ややこしい声で鳴かないでくれよ・・


この賽銭箱は7割の確率でお賽銭を弾く!

かなりの守備力を誇っています。


投げ入れるのではなく上から落とすのがコツです。


夜の表参道。

繁盛しているようでどこも新築のように新しく、
常にどこかが改築をやっている印象です。

映画のセットのようです。

御釈迦様。なぜ金色なんだろう。

人間ならざるものなら光っててもおかしくない。
あの有名な宇宙人が銀色なのと同じ発想でしょうか。

観音様。

人の形をしているのに、どこか神々しい
そんな佇まいで、見ていると心が鎮まります。


・・あら。〆の言葉が出てこない。

とにかくステキな場所です。
川崎による用がある方は是非立ち寄られることをお勧めします。

川崎駅から旧大師電気鉄道こと京急で簡単にアクセスできます。
「ダァシエリイェス」も鑑賞出来るので一石二鳥ですよ。

2 件のコメント:

  1. お考えに賛同します。
    自分は、お寺さんよりも神社さんを好みますが。
    いずれにしても、天の一番高い所におわします存在は同じと考えていますので、感じていることは私も同じと思います。
    (天の一番高い所の存在が、ユダヤにはYHVHとして、日本には天之御中主神として、インドには大日如来として降臨して、世界のそれぞれの土地で理解しやすい形で説教してくれてるのだと思っています)
    以前、欧州に旅行して有名な教会を観光していた時、大学生と思しき女性が駆け込んできて礼拝に使う椅子?(教会での結婚式で座らせられるあれです)にドッカと座り、頭を抱えて動かなくなる場面に出くわしたことがあります。
    家人の大病が発覚したのか、彼氏に振られたのか。彼女の心の内を知る術はありませんが、途轍もない悩み・絶望を抱えていた事は違いありません。
    ただ、そのやり場のない気持ちに整理を付ける場所として、「教会」と言うものが機能していることに心動かされた印象が強く残っています。
    日本の寺社も、信仰だとか御利益だとかを離れて、そう云った自分を見つめ直す空間としてもう少し機能しても良いんじゃないかな?と思っています。
    お寺さんはともかく、神社さんは座る場所も無いですからねw

    返信削除
    返信
    1. そうですよねー
      私は好きになった場所がたまたまお寺だっただけの事で
      これが神社なら神様相手に同じ思考に至ったのではないかと思います。

      >ドッカと座り、頭を抱えて動かなくなる場面に出くわしたことがあります。

      深刻度は比較にならないと思いますが、私が大師様へ祈っていることや
      境内を歩きながら思考をめぐらせていることは
      その女性とやっていることは変わらないのだと思います。

      平間寺は広いので、私の参拝コースは巡るのに10分かかります。
      歩き回るか、長いすに座って一心に祈るかという形だけの違いですね。

      削除

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