2018年7月18日水曜日

大人向けの記事

毎週欠かさず「真剣に」感想記事を書き、皆様のコメントを読み続けること約10年。
それもここまで続くと得られる思考は作話技術や知見の広さだけにはとどまりません。
以下に、その一端を少し書いてみようと思います。

本記事はもしかしたら感想記事よりも難しく感じるかもしれません。
理解するにはある程度の社会経験・人生経験・観察力・読解力が必要かもしれません。
当ブログ読者は9割が大人の方ですが、しかし若い方も試しに読んでみてください。
覚えていたら、あなたの人生の何かの役に立つかもしれません。


※  1  ※

恐らくは誰もが経験している事だと思いますが、人は誰かと知り合うたびに知見を
広げるものだと思います。それは現実に限らずネットだろうが本だろうが同じです。

そうして得た知恵が自分を成長させ、決断させ、
場合によっては自分の価値観さえ変えることもあります。

それこそが、常に可能な限り他人の見解を求めるべき理由だと私は思います。

が、物の見方が多様であるという事は、そのすべてを肯定的に受け止める
事は不可能であり、それを受け入れるかどうかの判断には
個人それぞれの「主体性」が必要になります。



それは「自分らしさ」と言い換えられるものであり、
それは考え続け、自分なりの言葉でまとめるという作業を続けた果てにこそ
見えるものかもしれません。

それは無くても生きていけるものかもしれませんが、
「自分らしい仕事」、ひいては「自分らしい生き方」をするにはとても大事な
事だと思います。

※  2  ※


白か黒かの単純思考・レッテルを貼るという思考は物事を「理解した気分になる」には
もっとも手軽な手段です。
あるいはそういった浅はかな人たちを扇動するにも効果的でしょう。

しかしそれは「自分なりの思考」、ひいては知性を放棄することです。
その方が楽な生き方は出来ると思いますが、
それは「私個人的には」、愚かで貧しい生き方だと思います。

折角知性を持てるヒトとして生まれたのに主体性を放棄するなら、
「極端な話」、獣と変わらないではないですか。


社会を知る前の子供ならば誰かの言うとおりに行動したほうがいい事もあるでしょう。

しかし自らの考えを経由せず誰かの考えに頼っている人が「自分」を
見つけられることは無いでしょう。

そして、そういう生き方で果たして満足のいく人生になるかどうか。


勿論、こんなことを書く私もどこか別の分野でその扇動に乗せられているかもしれません。
それが嫌なら常に自分を疑い続けるしかありませんが、それも
過ぎれば疲れる生き方になるでしょう。

これもまた極端になるのがよくないのでしょう。
自分を疑うのも「ほどほどがいい。」そう思います。

※  ※  ※

色んな人の意見を聞いて、自分なりに考えて、出来たらそれを誰かに話して、
そうして自分の価値観・思考の基準を見つけたら

それに従って(絶対ではなく)ほどほどに自分の基準を信じ、可能な限りで自分を疑い、
知恵を求めていくのが「人」らしい生き方になるんじゃないかな、と私は思います。

2 件のコメント:

  1. 何を求めてここに集っているかにもよるでしょうから難しいですね
    ラブライブのイベントを見て皆で「良かったよね~」と盛り上がる感じなら心穏やかでしょうけど・・・

    行動としては儒教の中庸、ものの見方としては仏教の中道といったところでしょうか
    難しいですが、平たく言えば岡目八目で見て、他者の意見を血肉に出来たらベストでしょうね
    他人に迷惑を掛けない前提ですが
    拘りなくして大成せず、若いうちは我を通してみたらいいと思います
    岩を殴り続けて、砕けるようになるかもしれないし、岩にも意外と柔らかい所があると気付くかもしれない
    そもそも何故どかそうとするのか、大きな岩も風情があるし庭石にいいかもしれない
    歴史的に見て、なぜ少数派なのか?なぜこういう社会なのか?色々気付くかもしれません
    熱力学的に秩序が分けられているからそこにエネルギーがある
    経済学的に国と文化が違うから貿易が成り立つ・・・皆一緒の理屈なのかもです

    何かと話題の坪田氏も色々見ていると二つ、
    少数派保護への拘りと発言の一部を取られる事への不快感が見えます
    マイノリティーならご町内ヒーローでも12人の怒れる男でもかっこ良く描けば良いですし
    伝わらない=まだ本当に伝えたい事があるなので、今後の描写に期待したいところです

    ジェンダー関連については、多分そばアレルギーの人にそばを勧めるようなもので、
    自分を否定する世界そのものが敵で、とても怖い化け物に見えているかもしれません
    ナウシカを噛むテト状態と考えて、叫んで貰ったり、噛みついて貰うのが先へ進む手段かもです
    剣にも兵法家伝書に病気の事として拘り過ぎる事の危険性が説かれています
    嫌と言うほど殺し合いをした末の境地ですから、
    そこに人が未来へ進むための道があるのかもしれません

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    返信
    1. >拘りなくして大成せず、若いうちは我を通してみたらいいと思います

      全くその通りです。
      アレコレ試行錯誤を続ける果てにこそ自分なりの答えは見えるもので、

      たとえ結論が同じだとしても
      やったつもりになって、分かったつもりになる事とは訳が違います。


      >発言の一部を取られる事への不快感が見えます

      わかるなぁ(´∀`*)
      ていおブログでさえそれをチョイチョイ実感するのですから
      視聴者が百万単位で居る上そのリアクションがすぐに見られる環境は心労もでかいでしょうね。

      ・・ウチもその原因の一つですけどね。
      謝りはしませんけども、申し訳ないとは思ってます。

      削除

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